二〇二五年三月十五日から『ベルクソン哲学の遺言』(前田英樹著)という本をゆっくり読み進める講座を、縁がわ大学で連続開催しています。
おかげさまで、今月、六月二十七日にはとうとう十回目を迎えることに。
地道にお付き合いをいただいている受講生のみなさんに、この場を借りまして、改めて厚く御礼を申し上げます。
一年以上かけて、読めたのは約六十ページ。

書かれていることを整理して要約し、知識として蓄えるだけであれば、全部で三百ページ足らずの文庫本一冊に、こんなに時間をかける必要はないのかもしれません。
ちなみに、テキストの整理要約に必要な能力、一塊になっている文章を細かく分けて、比較したり、似たものをまとめたり、違ったものを別々にしたりして保管する心の働きを、ベルクソンは「知性」と呼んでいます。
もしもこの本に、知性に関わることしか書いていないのであれば、私たちの読み方に、積極的な意味はほとんど無いでしょう。
せいぜい「読むのが遅い人たちの、とてものんびりした読書会」くらいの意位置づけになりますでしょうか。
ところが、それで話は終わらないのです。
知性の網の目をすり抜けてしまうものが、私たちの身の回りには山ほどあります。
たとえば文学。
たとえば音楽、踊り。
何も緻密に創り込まれた表現に限りません。
気になるあの人が口にした、謎めいた一言はどうでしょう。
愛する人の屈託のない笑顔や笑い声は。
季節が届けてくれる、風や光は。
何気なしに一口含んだ茶の味わいの移ろいを、分析し切れる人などこの世にいるのでしょうか。
いたるところでごく当たり前に出くわすことになる、そうした動きや変化それ自体としか言いようのないものたちに、私たち自身の心の動きや変化を添わせ、密着させる能力。
ベルクソンが「直観」と呼んだこの心の働きを研ぎ澄ますためには、実は整理や要約というやり方はまったく馴染みません。
一輪の野の花の佇まいを、誰に要約できるでしょう。
この本を読むためには、知性も重要なのですが、それだけでは仕事を完結させることができません。
アスリートが体を鍛えるようにして、時間をかけて、根気よく言葉と向かい合い、味わい、自分の内側を細やかに知覚していく必要があります。
そういう次第で、講座では本を読みながら、参加者それぞれの生活の具体的な場面に分け入り、経験を皆で共有し、話をしていくことになります。
読了までまだまだ時間がかかりそうですが、ご興味のある方はどうぞお越しください。
講座のページへのリンクはこちらです。
途中参加、哲学初心者大歓迎ですよ。
ではでは。
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

