板橋区徳丸1丁目のブラジル食堂に、ぜひとも行ってみたいと憧れている東京都北区しかのいえです。
今週のしかのいえ本の茶屋の営業は……
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◆8/1(金)
通常営業で13:00~16:00の店開きです。
◆8/2(土)
店主出張につきワンオペですが元気に通常営業。
13:00~16:00の店開きです。
◆8/3(日)
縁がわ大学講座【担当編集者と読む小説『僕たちは我慢している』読書会】
開催につきお休みです。悪しからずご了承ください。
読書会はドタ参加大歓迎ですよ、ピンときた方はぜひ。
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◆しかのいえ本の茶屋のご案内・アクセス
大久保雄策さんの小説作法ゼミナールで学びながら、これまで何度か小説の執筆に挑戦してきました。
書きながら、小説というものを形作る言葉の独特さに、繰り返し驚かされています。
ものごとのただの説明でもなければ、レポートでもない。
単なる価値観や考察や意見の表明でもなければ、心情の吐露でもない。
こんな文章、ほとんど書いたことがなかったからです。
大久保さんは、小説の言葉は「鏡」だとよくおっしゃいます。
たとえば、次のような文章が小説の冒頭に置かれていたとします。
「九月も終わりに近づいたある夜、新宿の雑踏を独りそぞろ歩きしていた私は、二、三メートルほど先でほとんど同じ間隔を保ちながら、同じ方向に進んでいる人がいるのに気がついた。仕立てのよい麻の背広の肩から上が、まるで立ち泳ぎをしているように人波から突き出しており、背広の上の小さな頭にはカンカン帽が載っていた。おそらく、男だろう。ネオンの灯りをうけて釣りの浮きみたいに揺れ続けるあのカンカン帽、考えてみればかれこれ五分以上、眺めるともなくながめているような気がする。私は歩く速さを試しに少しだけ落としてみた。すると……」
これは、今私が即席でこしらえた文章です。
一体西暦何年の「九月」なのか、「ある夜」は蒸し暑いのか涼しいのか、「新宿」のどのあたりなのか、「私」とは誰か、なぜ「そぞろ歩き」しているのか、「カンカン帽」は何者でなぜ「私」と「同じ間隔」を保ちながら前を歩いているのか。
実は、自分で書いておきながら、私にはまださっぱりわかっていません。
反対に、予めすべてわかった上で書くような場合もあるかもしれません。
でも、読者にとってそれはどちらでもいいことです。
書き手にどんな心づもりがあろうがなかろうが、これを読んだ人には、自分自身の考え方や知識や思い出を使って、自由にあれこれ思うことが許されています。
上の例文の巧拙は一旦脇に置くとして、読者は己の心模様をこの文章に映しながら、存分に想像力を働かせ、
「きっとこういうことなのだろう……」
と見当をつけながら、世界に一つしかない自分だけの作品世界を膨らませていくことができます。
最終ページの最後のひと文字まで読者がそのことを楽しみ、
「読んでよかった」
と心底思ってもらえる文章なら、それはきっと良い小説になり得るはずです。
小説の文章、特別だと感じます。
写真は、8/3の読書会に参加してくださる予定の山崎明子さん。
大久保さんの小説作法ゼミで共に学んでくださっている方です。
山崎さん、いつもありがとうございます。
藤岡陽子さんが精魂込めて磨き上げた『僕たちは我慢している』という鏡。
そこに何が映ったのか、山崎さんのお話を伺うのが今から楽しみです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ではでは。
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com