折合い

本の茶屋

蝉が鳴き始めましたね、北区上十条しかのいえです。

以下、昨日読んで心掴まれた文章の備忘メモです。

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……実に「怨望は衆愚の母」であり、その「働の素質に於て全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘はらずして不善の不善なる者」と福沢は主張する。
 
何故か。
 
彼は、一言で片附ける。
 
「たゞ窮の一事」にある、と。
 
窮と言っても、困窮の窮ではない。
 
己に備わる「人間自然の働を窮せしむる」に在る。
 
「怨望」は自ら顧み、自ら進んで取るという事がない。
 
自発性をまるで失って生きていく人間の働きは、「働の陰なるもの」であって、そういう人間の心事は、内には私語となって現れ、外には徒党となって現れる他に現れようがない。
 
怨望家の不平は、満足される機がない。
 
自発性を失った心の空洞を満たすものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性が要るからだ。
 
そこで、彼(※引用者注:怨望家)は、他人を、自分の不平状態にまで引下げて、彼我の平均を得ようと希うだけである。
 
……不平は、彼の生存の条件である。
 
不平家とは、自分自身と折合いの決して附かぬ人間を言う。……
 
(『考えるヒント』P164~「福沢諭吉」より~/小林秀雄・文春文庫)
 
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胸中に渦巻いていたジレンマを、断ち切ってくれる一文でした。

怨望(えんぼう)とは、何かをうらんで不平をいだくこと。

その恐ろしさを痛感しました。

自分の内から自然に溢れ出るものに従って、素直に流れを作っていくこと。

それを楽しめないなら、人との悦ばしい交わりなど生まれようがありません。

肝に銘じて、今日も頑張ります。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
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公式サイト https://shikanoie.com

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