「君はあまりに自分がなさすぎる。私が今日の演奏にやや辛い点をつけたのは、協和音への誤解もさることながら、あまりに無色透明だからだ。他人に合わせる器用さが君の器を小さくしていることに気づけ。君はピアノを専攻することに決めたのだろう。ならば、その十本の指で、己の心の中の風景を切る取るつもりで弾いてみろ」(谷津矢車『廉太郎ノオト』・P97~98)
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「君は水みたいな人だね」と、私も大学時代の恩師からほんの数ヶ月前に言われました。
本の出版に携わってきたこれまでの来歴を振り返り、(恩師と比べて)こだわりや凸凹があまりにも無い私の仕事ぶりを評されてのことです。
良い悪いは別にして、たぶんその「水みたいな」在り方は、私という人間丸ごと全部に、ちょうど器楽の通奏低音のように鳴り響いていて、恩師から指摘された仕事の仕方はもちろん、リコーダーの演奏にも、本の読み方にも、人との相対し方にも、すべてに共通しているのだろうと思います。
上に引いたのは今読んでいる小説『廉太郎ノオト』の一節。
主人公は実在の音楽家・滝廉太郎で、ひとつの旋律に対して彼が反射的に脇に回って和声を成立させようとする姿勢を師がたしなめるセリフです。
私が読んでいるページは第三章の中盤に差し掛かっていて、廉太郎がまさにこうした在り方を超えていこうとしているところ。
誰かの表現を受け止めることが、ただの受け身ではなく、ただちに独自な表現にまで高まる道はあるのか?
この「問い」に対して、著者の谷津矢車さんはどう応えてくるのか?
滝廉太郎の天才と私の凡を比べるべくもないけれど、気になって仕方がありません。
しかのいえ本の茶屋は、本日9/22(火)も定休です。
ではでは、また。
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「君はあまりに自分がなさすぎる。私が今日の演奏にやや辛い点をつけたのは、協和音への誤解もさることながら、あまりに無色透明だからだ。他人に合わせる器用さが君の器を小さくしていることに気づけ。君はピアノを専攻することに決めたのだろう。ならば、そ…
鹿野 青介さんの投稿 2020年9月21日月曜日
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