センジュ出版と夢を語る「声」04

本の出版

不思議なリーダー・考

実を言うと、
『ゆめの はいたつにん』という本を通じて
教来石小織さんのご活動の
大きさを知ればしるほど、
私は、
もともと「国際協力にも
社会貢献にも興味」がなかった(P7)彼女が
「夢」に出会った経緯の、
どこか受身な印象に
不思議さを感じることになった。

不思議なことは、それだけではない。

どれだけ本を読み返しても、
教来石さんのリーダーとしての強みが、
いまひとつはっきりと見えてこないのだ。

どうやら彼女は、
自分の理念や活動に
ゆるぎない確信を抱き、
強い押し出しで
周囲の者たちに働きかけていくような、
カリスマタイプの
リーダーではないようだった。

では逆だろうか?

たとえば、
柔らかくしなやかな受容力で
周囲の人間たちをすっぽりと包みこみ、
それぞれの持ち味を
十全に引き出していくような、
マネージャータイプのリーダーなのか?

どちらかと言えば、
このタイプに近いようにも思えるが、
どうもそのように
すっきりと割り切れないところがある。

しかし、本を読めば分かるけれど、
こちらのそんな
モヤモヤ状態にはお構いなしに、
本当に次から次へと、
彼女をサポートする優秀な仲間たちや、
力ある支援者たちが現れるのだ。

これも大きな謎だった。

教来石さんが、
これまでにない
新しいリーダー像を
提示しているということには、
本の中に登場する人物たちも
しばしば言及している。

ご自身の言によれば、
「挙動不審」「おどおどしている」と
言われることさえあるそうだ。

だから彼女が、
どんなリーダーで「ないか」はわかる。

でも、誠に恐縮ながら、
そこにある何か積極的なもの、
人の心を掻き立て、
突き動かさずにはおかない力を
どう呼べばいいのかが
全くわからなかった。

7月24日のイベントで、
教来石さんご本人を前にして、
吉満さんから本の感想を求められても、
何だかもう
しどろもどろになってしまった……

その後数日。

お二人に御不快な思いを
させてしまったのではと気を揉みつつ、
折に触れて当夜のことを思い出しながら
あれこれ考えている内に、
吉満さんのある言葉が脳裏をよぎり、

(あっ……)

と思った。

そうだ。

イベントの席で、
教来石さんの印象を
掴みかねていると私が言った時、
吉満さんは、
そういう受け止め方をしてくれて
光栄ですと言ってくれたではないか。

あの時は、
吉満さんが私の不用意な発言を
フォローしてくださったことへの
感謝しかなかったけれど、
あの言葉には、
もっと大切な含みがあったのではないか?

というのも、吉満さんは、
『ゆめの はいたつにん』という本を、
よくある売れ筋のビジネス書のように、
何か明確な答えを
わかりやすく打ちだすものにはしないと
はっきり意識していたからだ。

むしろ逆だと。

読むたびに読者が何かを
問いかけられるような本になるよう、
時を超え、
世代を超えてリレーされていく
魂のバトンのような本になるよう
仕事を進めたのだとおっしゃっていた。

きっと吉満さんは、
教来石さんが持っている
ポジティブなもののエッセンスを、
損わずに読者に届けるためには、
そのような形を取るしかないと
お考えになったのだろう。

ならば、だ。

目を凝らしても
くっきりとした像を
結んでくれないもどかしさ、
歯がゆさを感じることは、
読者の側の認識の不十分さだけを
表しているのではないだろう。

それは、
リーダーとしての教来石さんに
出会うための、
大切な通り道でもあるのではないか?

たとえば、
深まっていく
CATiCでの活動の最中、
教来石さんに
「ボレロのリーダーシップ」(P217)
という言葉を捧げた
仲間の「ゆーやくん」も、
彼女と共に動きながら、
私と同じ道を通り、
同じ歯がゆさを感じていたと言えば、
これは言い過ぎになるだろうか?

彼女が発揮してきた
リーダーシップは、
まるでモーリス・ラヴェルの
『ボレロ』のようだと彼は言う。

小さく倦むことなく繰り返される
スネアドラムのリズムが、
最後には全オーケストラを巻き込んだ
壮大なシンフォニーへと
爆発していくように、
CATiCの運動は成長した。

教来石さんは、
時に「ぶれても折れずに」
スネアを叩き続けた。

それが彼女のリーダシップの姿なのだと。

本を手にし、
愛情に満ちたこの美しい表現に
深く頷かされつつ、
私はもう一足先に進むために
何度か自問していた。

では、そのスネアとは何なのか?

私は次の一歩を踏み出すための言葉を
どうしても見つけられないでいた……

しかし、
ゆーやくんが
『ボレロ』のスネアの響きに
託して表現しようとしたものと、
吉満さんが「声」という言葉で
表現しようとしたものが
もしも同じだったとしたら?

ゆーやくんと吉満さんの言葉が、
理屈の雄弁饒舌とは全く違った仕方で、
私たちを巻き込み動かさずにはおかない
同じ何かをめぐってなされた、
二つの真摯な表現だったとしたら?

もう一歩だけ前に行くための言葉を、
私たちは探してもいいと思う。

続きます

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