昨晩見たジャパネットたかたの「日本酒」のテレビショッピング、楽しそ~に飲みながらプレゼンしている様子に軽くショック、その手があったか、北区上十条しかのいえです。
2/28(日)、しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00の店開き。
今日はまだ決まったお客様はございません、どうぞお気軽にお越しくださいね。
そうそう、15:00からはこちらのコンサートを茶屋で楽しみながらの営業。お越しになった方はぜひご一緒にどうぞ。
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「書き手すら、自分の言葉と再び出会いたいと思えば、読者となってそれを読まねばならない」(『池田晶子 不滅の哲学』P81・若松英輔・トランスビュー)
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1分前、1秒前の自分すら「歴史」である。
そんな風に言った人がいます。
ならば、もしもその自分と出会い、交わるには、何百年、何千年前に生きた誰かのことを知るのと同じ工夫、同じ努力が必要です。
今ここに生きている自分は、過去の自分から受け取るさまざまな遺物を手掛かりに「その人」に迫っていく他ありません。
上に引いた若松さんの言葉を読んで思ったのは、本当は、私が今こうして書きつけている「言葉」、これこそが一番身近で、一番見過ごしがちだけれど実は一番有力な、一瞬前の過去の自分から届き続ける「遺物」ではないかということ。
たとえばここに上げた写真は、約50年前の自分から届いた遺物です。
私が発している言葉はもちろん、あなたが発しているその言葉も、遺物である限り、この写真と同じです。
あるいは、歴史上の有名な人物が残した古文書や、石に刻まれた古代の碑文と同じなんですね。
ああそうか。
私の自意識は、「書き手」であった一瞬前の自分と「読者」となって出会い続けることによって成り立っているのか。
私の自意識の中身は、私という人間の「歴史」認識の中身にそのまま重っていると言ってもいいんじゃないか?……
……というようなことに、つい先ほど、上に引いた本を読みながら考え至りなんだかとても不思議な気持ちになったのでした。
まったく奇妙なものです、言葉って。
ではでは、また。
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「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
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