早朝、南の空にかかっていた二重の虹が大きすぎて、半分くらいしか撮れなかった北区上十条しかのいえです。
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文芸畑の第一線で志を持って仕事を40年続けてこられた先輩のOさん。
そのOさんが編集を手がけた小説作品を読み、「物語」という表現の意味について改めて考えさせられています。
教えていただいた2つの小説は、まさに「巻を置く能わず」。
一ページ目を開いたが最後、読了するまでページを繰る手が止まらなくなりました。
Oさんによれば、読者の手を止めさせないための再現性の高いテクニックはあって、どちらの作品でもその手法は十全に活用されており、
(なるほど……)
と唸らされました。
きっと面白い小説、面白い物語の多くは、読者が面白く感じるように、明確な指針の下で綿密に仕組まれているのです。
優れた作家と編集者がタッグを組めば、大抵の読者は言葉の力でいいように引きずり回され、「読まされて」しまうわけです。
怖いことだな、と思いました。
小説の書き手・作り手は、面白い物語が持つこの暴力的な側面をわきまえ、軽々しく扱ってはいけないな、と。
次第に激しさを増し、終いにはハリケーンのようになる言葉の竜巻を使って、読者をどこへ連れていきたいのか?
物語を読み終え我に返った読者の胸に、何を残してあげたいのか?
Oさんが編んだ2冊の小説は、書き手・作り手のこの問いに対する真摯な姿勢が伝わってくるものでもありました。
一読者として、
「最後までおつき合いしてよかった」
本心からそう思えた。
どこにでもいるありふれたひとりの人間を、どうすれば心底励まし、力づけられるか?
どちらの作品も、この問について徹底的に考え抜き、言葉の工夫を尽くした果てに生み出されたものでした。
しかのいえで目下企画中の、Oさんの講演会と小説作法セミナーでは、こうした創作上の倫理に関わる事柄も盛り込んでいきたい。
そう思っています。
ではでは、また。
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com