昨日のお客様は10名!みなさまご来店ありがとうございました、北区上十条しかのいえです。
10/3(日)、しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00の店開きです。
のんびりお越しくださいませ~。
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「自分が書いた文章を見られると恥ずかしい問題」続いています……
「りんご」という文字を見れば、あの赤くて、丸っこくて、てっぺんに可愛いヘタのついた果物の姿が思い浮かぶし、「友だち」という文字を見れば気の合うあの人の顔が思い浮かぶ。
書かれた言葉は私たちの心に直接働きかけて、心にさざ波を起こし、イメージを掻き立てます。
そして呼び起こされたイメージは、しばらくすると、やってきた心の薄暗がりの中に再び溶けて消えていく。
ではそのイメージを、どうしても消したくないと思ったらどうすればいい?
どこにも逃がしたくないと思ったら?
絵を描く人なら、絵筆を握るかもしれませんし、音楽家なら楽器を手に取るかもしれない。
どちらもできなかった私は、自分の言葉を使って書いてみようと思いました。
誰かが書いた言葉によって掻き立てられ、生まれてきたものを、今度は自分の言葉で辿り直してみよう、と。
私は、丸山さんの書いた『ソシュールの思想』の抜き書きを基にして、ソシュールという人の知的格闘を「自分に分らせるための文章」を書きました。
時代ですね、これもまた手書きです。
Aという命題からBという命題へ、そこからCという命題へ……
なぜソシュールは、そんな風に考えを進めることができたのか?
ひとつのテーゼから次のテーゼへとジャンプするための、納得のいく理由は一体何なのか?
彼の心に寄り添うようにして、私は一歩一歩書き進めていきました。
書きながら道に迷いそうになる時は、自分が作った抜き書きを何度でも見直して、進むべき方向を探りました。
完成した文章は、友だちと一緒に作った文集に載せましたので、人目に触れることになりました。
「誰かに読まれる」と思うとドキドキしましたが、無理矢理書かされた読書感想文を読まれる時のようなあの恥ずかしさは、もうどこにもありませんでした。
拙い技ではあったけれど、私は自分自身に向けて、心惹かれた何かを説明し切ったという自信があったし、それはなんと言うか、誇らしいことだったのです。
だから自分の書いたその文章に、友だちが、彼が書いた文章の中で言及してくれた時は本当に嬉しかった。
自分の書いたものが、彼の心に小さなさざ波を立てた。
そして彼は、そのさざ波を消したくないと思ってくれたのだ。
私は胸が熱くなりました。
自分の言葉で何かを人に伝える喜びを、私はその時初めて味わったのだと思います。
……続きはまた、明日。
ではでは。
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
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コメント
[…] 「自分が書いた文章を見られると恥ずかしい問題」にお付き合いいただき、ありがとうございます。 […]