おはようございます、北区上十条しかのいえです。
今週のしかのいえ本の茶屋の営業は……
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◆6/21(金)
通常営業で13:00~16:00の店開きです。
◆6/22(土)
スタッフ両名出張につきお休みです。
◆6/23(日)
山田麻理子さんの「Wellsideランドリー」の
お取り組みについてじっくりお話をお聞きする会を開催。
本の茶屋はお休みです。
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今週は本日6/21(金)のみ営業です。
どうぞご注意ください。
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写真は、小説作法ゼミナールでお世話になっている大久保雄策さんがくださった、古い書評新聞。
『週刊 読書人』1983年(昭和58年)3月21日号。
同じ年の3月1日未明に逝去した、小林秀雄さんの追悼特集号です。
この翌々年の1985年の春に私は大学生になりました。
入ったのは文学部でしたが、ニューアカデミズムの旗手たちが繰り広げる知的遊戯の喧騒の中で、小林秀雄の名を聞くことはほとんどありませんでした。
彼とはっきりと出逢ったのは、50の歳を超えてからのこと。
『読書について』という小さな本がきっかけになりました。
今ではこの人の書いた文章は、命ある生身の人の書いたものよりも、往々にしてはるかに私の近くにあり、無くてはならない導きの糸になっています。
ある文章の中で、小林さんはこんなふうに書いていました。
曰く、死んだ人というのは、なぜこうもしっかりしているのだろう。それに比べて生きている人間の何と不確かなことか、と。
これは、私にとっての、小林さんその人に対する印象そのものです。
しかし、生きている人間の不確かさは、何らかの欠落を示すものではありません。
それは動いてやまぬ命の、燃え盛る炎の、積極的な様相そのものです。
そこには、私たちのすべてがあります。
そして、その不確かさを、辛抱強く、どこまでも丁寧に経験していくことによってしか、私たち自身が死者の確かさに至ることはありません。
小林さんなら、きっとそう言ったと思います。
ごく最近、身近な人に見守られながら、確かな姿で安らかに宙(そら)へと旅立っていった大切な人に、この一文を捧げます。
大久保さん、追悼のための貴重な手がかりを示してくださり、ありがとうございます。
またお目にかかれる日を、心待ちにしています。
ではでは。
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com