「へぇ~~~、ワカメぇ」という小5息子の午前1時の寝言が謎過ぎて、その後の眠りが浅くなった北区上十条しかのいえです。
10/5(火)、しかのいえ本の茶屋はお休みです。
今週のオープンは10/8(金)から。
遊びにいらしてくださいね。
*
「自分が書いた文章を見られると恥ずかしい問題」、おつき合いをいただき感謝です。
今日が最終回です。
……私たちが間違いや不正解という「失敗」を恐れるようになる「圧」をかけられるのは、作文や言葉を使った教育の場面だけに限りません。
恐らくそれは、音楽や美術などの表現の教育の場面や、運動やスポーツの教育の場面などでもしっかりとかけられている。
こうして私たちの多くは、様々なアウトプットを「楽しむ」あるいは「味わう」ことから、いつの間にか切り離されて長い人生を送ることになります。
言葉に限って言うなら、それは発声であれ筆記であれタイピングであれ、まずは「動作」です。
体の動きです。
「りんご」という音や文字は、体得されたある複雑な動きによって現れ、私たちの心を波立たせます。
ところで、掻き立てられたさざ波は心であり、掻き立てた言葉は動作の痕跡です。
つまり、心の現物と言葉は、別ものです。
にもかかわらず、私たちは全生活を通じて、言葉を現物だと勘違いするように育っていきます。
このこと自体に良いも悪いもありませんが、その内に自分の心でさえ言葉と見分けがつかなくなっていく。
言葉は、生まれてきたら誰もが一から学ばなくてはいけない、複雑極まりないジェスチャーの体系のようなものです。
だから、もしも使えるようになりたいなら、最初は上手な人の真似から始めるしかない。
それは泳げない人が、ビート盤や浮き輪に頼るのと同じです。
丸山圭三郎さんの『ソシュールの思想』は素晴らしい本だと、私は今でも思っていますし、本当に大きな仕事です。
でもそれを、誰にでも必ず読んでほしいとは思いません。
もちろん読んでくれたら嬉しいけれど、読みたくもない本を無理に読む理由なんてどこにもありません。
あなたには、あなたにぴたりと合う浮き輪が必ずあります。
あなたが、あなたの心を、信じて託せる言葉に出合えますように。
では、では。
(2021/10/5 17:01改稿)
「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com