3/11は「おとなのフェミ・カフェ : 女性同士で話せる場が欲しかった私たちの居場所」

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おはようございます。

今朝の北区上十条界隈は、少しだけ寒さが緩んでいるようです。

大学に通っていた頃の話です。

ゼミの友人が演劇部で頑張っていて、彼が出演したお芝居を観たことがあります。

会場は、学内の一角に急ごしらえされた大きなテントでした。

演目は『ゴジラ』(大橋泰彦・1987年)。

ホームページの作品概要によれば……

「ふたりの愛はあくまでもけなげで、どこまでもひたむきだった。ただ、可憐な少女やよいの恋人は、人ならぬ怪獣ゴジラだった。純愛の不在の時代に、絶妙の着想とやつぎばやのギャグ嵐、そして巧妙なストーリーテリングの離れ技によって、蜃気楼のごとく成立した奇跡の純愛物語。」

すみません、筋も結末も忘れてしまったのですが、笑わされて、ほろりとさせられ、温かいものをひとつ胸の中に置かれてテントから送り出された記憶が残っています。

それからもうひとつ。

おぼろげながら細かなことで憶えているのは、友人演ずる少女やよいのお父さんが、娘との交際(結婚だったかな?)を認めてもらうためにやってきたゴジラに、煙草をふかしながら腕組みして言ったセリフです。

確か、こんな一言でした。

「ゴジラがゴジラであるだけで、傷つけてしまうものもあるんだよ」

お父さんには、それまでのやりとりを通じて、ゴジラが決して悪い青年(?)ではないことがわかっているようでした。

それだけに、この本音を絞り出すお父さんの、いかにも申し訳なさそうな様子が印象的だったのだと思います。

ゴジラがゴジラであるだけで傷つけられ、損なわれてしまうものがある。

ならば、誰かが誰かであるだけで、たとえば私が私であるだけで、理不尽に追い立てられ悲しんでいる人もいるかもしれない。

思いや事情や理屈を超えて、何かが、誰かが、この世界に「在る」こと自体が孕んでいる暴力性。

今思えば『ゴジラ』というお芝居は、そういう恐ろしいものを乗り越えて、健気につながっていこうとする人たちの姿を描いた劇だったようです。

来月、3月11日の土曜日の午後、しかのいえでAlliance YouTooのみなさんによるイベントが開催されます。

「おとなのフェミ・カフェ : 女性同士で話せる場が欲しかった私たちの居場所」

お茶を飲んだり、おしゃべりしたり、本を読んだり、日頃から生きづらさを抱えている女性(非男性)たちが、ホッと一息ついて素のままで過ごせるひと時を提供するイベントです。

ご興味がありましたら、ぜひ。

概要とお申し込みはPeatixページが安心ですよ。

イベント当日、私が30数年前に入ったあのテントの中で見せてもらったような優しさに、しかのいえが包まれますように。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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