「愛読」について

本の茶屋

制作依頼を受けた15分の動画の台本とスライドが完成、さあひとりZoomで録画するぞ~、北区上十条しかのいえです。

9/20(日)しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00の店開き。

今日はかなり涼しいようです、温かいお茶をぜひ飲みにいらしてください。

先週土曜日のイベントで、江戸時代の儒学者、伊藤仁斎の「愛読」について少しお話をしました。

編集するために何度か動画を見直したのですが、舌足らずな私の語り方のせいで、どうも誤解を与えてしまっているような気がしています。

これではあまりに仁斎先生に申し訳ないので、少しだけ補足を。

江戸幕府公認の学問、いわゆる「官学」は「朱子学」でした。

これは儒学の一種で、中国の宋の時代に、さらに昔の時代を生きた孔子や孟子の教えを基に老荘思想なども総合しつつ朱熹が構築をした、一大形而上学体系でした。

対する伊藤仁斎の学問は官学ではなく「私学」と呼ばれています。

これは身一つでなされる独学ということです。

仁斎は朱子学という大河を十全に学んだ後に決然としてこれを打ち捨て、その源流である孔子の『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と呼び、これを50年間、朝から晩まで体にこすりつけるようにして繰り返し読んで『論語古義』という一冊の注釈書を残しました。

仁斎の『論語』の「愛読」はこのように激しいもので、彼の学問は当時の官学を圧倒したと言われています。

けれども彼が残した注釈書は、『論語』に関する自説の正しさを言い立てるためのものではありませんでした。

つまり、朱子学を『論語』についての学説のひとつと見るならば、それに対抗するもうひとつの説を立てようとしたわけではなかったのです。

ひとつの歌を決して他の調べには置き換えられないように、『論語』には孔子その人の置き換えようのない「声」がこだましている。

仁斎は『論語』を読んで読んで読み抜いて、ただひたすらにその声を聞こうとしたのです。

もちろん奏でると言っても、仁斎は『論語』を読んで自分好みに奏しようとしたのではありません。

『論語』を読んで『論語』の響きそのものと化すことを求めていたのです。

ここにあるのはひとつの強靭な無私であり、己を捨てて他者のコトバの姿を感じ尽くし、最後にはコトバの向こうにいる人のもとに推参しようという強い意志です。

本を愛読することは、人を愛することと何ひとつ変わりません。

しかのいえ本の茶屋で広めたいのは、このことです。

ではでは、また。

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鹿野 青介さんの投稿 2020年9月19日土曜日

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