難題

本の茶屋

昨晩は久しぶりに清酒を、燗をしていただきました、凍夜の滋養、美味しかった、北区上十条しかのいえです。

本日1/21(木)、しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00まで開いています。

どうぞ冬の煎茶を楽しみにいらしてくださいね。

しかのいえ本の茶屋とは?

2021年の年が明けて1月9日から再スタートしました「しかのいえ3分間ラヂオ」。

お昼のひと時、ほっと一息ついていただきながら、本のことや、しかのいえにまつわるあれこれをお伝えしています。

日頃ご愛顧いただいているみなさま。

拙いコンテンツに辛抱強くお付き合いをいただき、誠にありがとうございます。

心より厚く御礼を申し上げます。

写真は、今日のラヂオでお話する予定の一冊。

「批評の神様」「読書の神様」と崇め奉られてきた小林秀雄さんの、ずばり、氏の本業に関わる「読むこと」「書くこと」「批評すること」をテーマにした文章を集めた、200ページ足らずの選文集です。

今から7年ほど前、私はこの小さな本で、生まれて初めて小林さんの文章に触れ、以来、氏の仕事に魅了され続けているような次第です。

短い時間で一体何をどこまで伝えられるか、甚だ不安ですが、やってみようと思います。

本番に先立って、ひとつだけ。

小林さんを「神様」と呼ぶことは、間違いではないと思います。

でも、その弊害は大きかったと言う他ありません。

神様だなんて言われたら、まるで小林さんが、何もかもを誰よりも深く知り、感じ、これを正確に表現した人なんだと取られても仕方がないです。

ここから「何を偉そうに」とか、「見下ろし目線が気に入らない」とか、「あれは中身のないただのコケ脅しだ」とか、小林さんに対するまったく的外れで愚かな言いがかりが、洪水のように溢れ出してきた経緯があります。

事実は逆です。

実際、小林さんほど誰かを見下したり、誰かにマウンティングしたりすることに興味を持たなかった人も珍しいのではないかと私は思いますし、小林さんに対してあれこれと文句をつけたがる人こそ、「小林秀雄」という名の鏡に己の卑しさを映して、勝手なことを言い募っているだけのように私には見えます。

小林さん自身は、手前勝手な空想や、好みの空理や、臆断を排し、己の限られた身の丈、心の丈を決して忘れずに、いつでも虚心坦懐に創作物と向かい合い続けた人です。

いわば、自分が神様でないことを絶対に忘れなかった、その仕草の徹底ぶりが、あまりにも人間離れしてしまっただけなのです。

神ならぬ身に許された深さと正確さの「ほど」への異様なまでの精通ぶりが、尋常でなかっただけなのです。

そして、小林さんが批評の対象に選んだ創作者たちは皆、小林さんととてもよく似た力を備えた人たちだった……

もうこのくらいにしておきます。

ううむ。

3分間か。

いかん、ますます自信がなくなってきた。

では、では、また。

▰▰▰▰▰

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「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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