畏れ

本の出版

昨晩は鍋で大正解でした、北区上十条しかのいえです。

9/8(水)、午前中は私の「まちゼミ」、午後のしかのいえ本の茶屋はお休みです。

本の茶屋の今週の店開きは、9/10(金)~9/12(日)の予定です。

週末は、どうぞお越しを。

しかのいえ本の茶屋のご案内・アクセス

本との相性が合うと、眉間の1cmくらい奥あたりで、読んでいる「文字」がそのまま著者の「声」として自然に鳴っているように感じることがあります。

まだ半分くらいしか読めていませんが、写真の本で久しぶりにそれが起こっています。

これは障害者文化論、日本近現代文学が専門の大学の先生の本。ページには、たとえばこんな言葉が。

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うまく表現するのがむつかしいけど、臨床の現場では、「その人が『生きて在ること』への畏敬の念」みたいなものが必要なときがあって、それがないと回復への歯車自体が動き出さないことがある。(荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』P56)
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これは、「臨床の現場」だけに限った話ではないと、私は思います。

様々なジャンルの実(じつ)のある表現や、仕事にも関わる話ではないかと。

たとえば、どうしても届けたい誰かに向けて文章を書いたり、本を出版したりする時にも、その誰かが「『生きて在ること』への畏敬の念」は必須です。

たとえその誰かがもうこの世にはいなくても、きっと事情はほとんど変わりません。

ひとつの命の出現と消失に対する畏れと敬いを、自然に感じられるかどうかはとても大切なこと。

きっとこの感情は、「人をバカにしない」ということの根にあるもの。

そういう畏敬の無いところで書かれたり発せられたりする言葉に、私はまるで興味が持てません……

『まとまらない言葉を生きる』、残念ながらしかのいえ本の茶屋での取り扱いはないので、ご興味のある方は、ぜひこちらでお求めを。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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