読まない本

本の茶屋

「私達は皆、物と物の名とを混同しながら育って来た」この真理を忘れ、
しばしばひどい勘違いをすることがあります、
でも、それもまた人間というものかもしれませんね、北区上十条しかのいえです。

今週のしかのいえ本の茶屋は……

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◆7/22(金):通常営業で13:00~16:00の店開き。
    
◆7/23(土):通常営業で13:00~16:00の店開き。
(※コミュニティビジネス無料創業相談会も受付中です。)    
 
◆7/24(日):通常営業で13:00~16:00の店開き。
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御書印も承っております。

どうぞお越しを。

しかのいえ本の茶屋のご案内・アクセス

下記の文章は、以前もここで引いたことのある一文です。

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「読む本」「読むべき本」が、本のぜんぶなのではありません。
 
本の大事なありようのもう一つは、じつは「読まない本」の大切さです。
 
図書館が、一人一人にとっては、
すべて読むことなど初めから不可能な条件のうえにたってつくられるように、
「本の文化」を深くしてきたものは、
読まない本をどれだけ持っているかということです……(P8)

 
本という文化が長年かかって培ってきたものは、
本に書かれているものを通して、
そこに書かれていないものを想像させるちからです……(P21)

 
※『読書からはじまる』長田弘・ちくま文庫より)
 
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「読まない本」を大切にするということは、
言い方を変えるなら、
自分に必要なものだけを取って良しとしないということでしょう。

自分のアンテナに引っかかってこないもの。

自分の「ものさし」からするとさして重要とは思えないもの。

自分とは端的に異なるもの。

そういうものの存在を、
おそらくは価値判断や思考の手前で肯定することによって、
反対に自分も他から肯定される世界を、本が支えてくれている。

そんな風に感じました。

最近巷では、「多様性」という言葉がもてはやされていますが、
上の文章に書かれている「本の大事なありよう」とは、「本の文化」とは、
まさにこの多様性を実現するために必要不可欠なものではないでしょうか。

これは「ネットの検索文化」からすると、
思いもよらない、およそナンセンスな視点でしょう。

そこでは限定された特殊な視点から評価される「有用性」と、
有用な情報にたどり着くための「効率」だけが、
ほとんど全てだからです。

ネットに押されて衰退の一途をたどっているように見える
本の世界を生かし続ける道が、
上の文章が教えてくれるものの先に
延びているように思えてなりません。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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