おはようございます。
しかのいえ、今年は本日から本格稼働です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今週、本の茶屋は本日1/6(土)の13:00から16:00のみ通常営業。
明日はイベント開催につきお休みです。
どうぞご注意ください。
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半年後、一年後に、自分が一体どんな生活をしているか、どんな境遇になっているかよくわからない。
世の多くの人たちにとって、こんな実感が格段珍しくもないものになって、もう4、5年経っているような気がしています。
私事になりますが、そんな中、折に触れて立ち戻り、ものを考える指針にしている言葉を下に記しておきます。
「またか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
小林秀雄という人が、「文学」に携わる者としての覚悟を語った一文です。
私にはこれが、単にものを書くことに止まらず、私たちが日々の暮らしを全うしていくための大切な指針でもあるように思えてなりません。
そして、ここに書かれていることがあまりに当たり前であり、あまりに単純であるがゆえに、「空想」に走らず、このことを見据えながら暮らすのが本当に難しいとも感じています。
下に記されたような小さな世界から「ひと筋に工夫を凝らす」(P339)ことが、難しいけれど疎かには出来ないことだ、とも。
よろしければご一読ください。
なお、「合点(がてん)」という、昨今の日常会話では馴染みが薄い言葉が出てきます。
ご存じない方がいらっしゃいましたら「承知・納得(なっとく)」の意味で受け止めていただければ差し支えありません。
ではでは、また。
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空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅かな土地しか踏む事は出来ぬ。
永生を考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。
沢山の友達を持つ事も出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。
腹から合点する事柄は極く僅かな量であり、心から愛したり憎んだりする相手も、身近かにいる僅かな人間を出る事は出来ぬ。
それが生活の実情である。
皆その通りしているのだ。
社会が始まって以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやって行くであろう。
文学者が己れの世界を離れぬとは、こういう世界だけを合点して他は一切合点せぬという事なのであります。
(小林秀雄『考えるヒント3』・「文学と自分」P341~/出典:昭和15年・1940年11月「中央公論」)
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