演奏者

本の茶屋

前に書いたかもしれませんし、改めてこんなことを言うのも何なんですが、お餅って本当に美味しいですね、北区上十条しかのいえです。

今週のしかのいえ本の茶屋は……

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◆1/5(金)
金曜日ですがまだお休みです。
悪しからずご了承くださいませ。

◆1/6土)
今年はここからスタート、
通常営業で13:00~16:00の店開きです。
どうぞ遊びにいらしてください。

◆1/7(日)
【新春 つながる 本の茶屋 読書会】開催↓につき臨時休店です。
あなたが読んだ面白い本のお話、ぜひ聴かせてください!
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しかのいえ本の茶屋のご案内・アクセス

一昨年の12月の第一期から始まり、目下、今年の3月から始まる第四期生の募集をしています、大久保雄策さんの「小説作法ゼミナール」。

このゼミでは、

「ああ、生きているっていいな、人間っていいな……」

読後、こんな思いが胸いっぱいに溢れてきて、

「すごいの読んだよ!」

と誰かに言いたくてたまらなくなるような小説を書くための心構えや技術を、文藝編集一筋で40年以上仕事を続けてこられた大久保さんから学びます。

新春のお年玉がわりに、大久保さんの教えをひとつおすそ分けしますね。

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◆小説にはノンフィクション的な要素を入れる◆

書くものには皆さんのノンフィクション的な要素をできるだけ入れるべきだと思います。そのノンフィクション的な要素というのは、皆さんの普段の生活に直結している感情なり思想で、生き方そのものです。感情と言うのは、後の「主人公の人物造形」のところでお話ししますが、感情的というのとは全く違います。感情的になってはだめです。純粋に普段の生活における嘘偽りのない感情ということです。(※中略)……やはりそのような実生活での経験が生かされている、血肉でできている小説のほうが読む人の胸を打ちます。

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書き手が自分の人生を通じて、心の内、身の内に育んできた嘘偽りのない実感。

書き手その人だけにしか感じられないはずのその実感が、なぜか全く別の人生を生きている人の胸を打つ。

小説の世界ではそんな不思議が頻繁に起こるし、書き手はそれを積極的に利用するべきだというわけです。

写真は、今月1/14、大久保ゼミ第三期生のみなさんとご一緒に開催する読書会の課題本の一ページ。

主人公でオルガン弾きの高校三年生の男の子・鳴海くんと、同じオルガン部の一年後輩の女の子・天野さんとの会話のシーンです。

この箇所、著者の佐藤多佳子さんの「ノンフィクション」が滲んでいると見ました。

オルガンこそ弾きませんが、私自身もリコーダーという楽器を演奏しています。

ここで言われている「演奏者」への羨望や憧れの感覚、実にリアルに伝わってきました。

きっと佐藤さんも音楽を「聴く」だけでなく、「する」側にも立ったことがある人なんだろうな。

そう感じました。

仮にそうでないとしても、佐藤さんはこの箇所を、別の手段を使った表現行為で得た実体験(ノンフィクション)から類推して書いているはずです。

そう思う他ないリアリティが、この箇所にはあります。

結果的に、このページがあったおかげで、私は一読者として鳴海くんにより「共感」できましたし、彼への「興味」がさらに増しました。

続きのページをめくっていく喜びが増したことは言うまでもありません。

ちなみに、この作品の大きなテーマのひとつに、神と人間の関わりということがあります。

普遍にして完全な神と、個別にして不完全な人間はどう交われるのか?

あるいは両者の間には、断絶やすれ違いしかないのだろうか?

「演奏者」になることは、この問いへの命がけの回答になり得る。

私は、そんなふうに感じました。

1/14の読書会で、他の参加者のみなさんの感想を聞くのが今から楽しみです。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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