後ろ向き

本の茶屋

明けましておめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

うちの中一息子は、齢十三にしてよく昔を懐かしんでいます。

たとえば小学生の頃に行った家族旅行のこと、お正月のこと、果てはベビーカーに乗っていた頃の微かな視覚や体感のことなどなど。

生意気にも、まるで世の大人たちが古いアルバムに収められたスナップ写真を愛おしむようにして味わっています。

でも、考えてみれば私も中学生の頃、小学二年生の終わりまで暮らしていた団地群の風景が懐かしくてたまらなくなり、独り電車に乗って訪ねて行ったことがありました。

立ち並ぶ住棟の窓々に一緒に遊んだ友だちの面影を追い、公園では馴染みだった遊具の小ささに驚き、商店街の広場では夏祭りの夜店の灯りや、むせ返るような人いきれや、傍らを歩く家族たちの影を思い出し、何とも安らかな気持ちになりました。

きっと人は本当に年若い頃から、通り抜けてきた過去の中に良い塩梅で身を浸し、そこから現在を温めるための滋養を汲み取る必要がある生き物なのでしょう。

このことは、神話や物語など、瑞々しい思い出というものを抜きにしては一切生まれようがない多くの表現の根にも通じているに違いありません。

当然ながら、コスパやらタイパやらをほとんど唯一のものさしにして、より早くより有効に前に進むための選択を人に強い、人から強いられる生活を続けていれば、こんな悠長なことをしている暇はなくなります。

しかしそれだけでは……

いかにも厳しいです。

極端な場合には、人間の中にある何かが死にます。

最悪の場合には、何かが死んでいることにさえ気づかないまま、干からびて動けなくなるのを待つだけになります。

年頭にあたり、しかのいえの四年間を振り返ってみました。

どうやら、まあまあ良い感じで「後ろ向き」でいられたようです。

2024年以降はもう少し意識的に「過去」「歴史」「記憶」「思い出」などのテーマにフォーカスしながら動いていきたい。

コスパ・タイパ一神教の勢力拡大は止まるところを知りません。

たとえささやかでも、バランスを取るための動きを繰り出していきたい。

生き生きとした前向きさを保つためには、程よく後ろ向きになる機会を設ける必要があるから。

そんなことを思っています。

写真は中一息子の書初め。

今の中学校では、こんな言葉が書初めのお題になるのかとちょっと驚きました。

こうした交流も、地域の歴史や伝統を無視して前向きになるだけでは良いものにならないでしょうね。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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