ジストニア考

20201229_02alto_recorder_moeck03_02 リコーダー教室

今日の気温、ホントに20℃超えるの?北区上十条しかのいえです。

本日2/21(日)、しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00の店開き。

みなさまのご来店をお待ちしております。

……午前中は、近所でいいので梅の花を見にいきたいなあ。

しかのいえ本の茶屋とは?

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局所性ジストニアという厄介な病気で、ここ数年思うように笛を吹けない仲間がいます。

局所性ジストニアとは?

西洋医学、整体、ハリ治療、ストレッチ等々、彼女も病気を克服しようと思いつく限りの方法を駆使して粘り強く頑張っているのですが、いかんともしがたい状態が続いています。

笛を愛好する者として、その辛さは痛いほどわかります。

もしも自分が同じ状態になったら、とても平静ではいられないでしょう。

果たして彼女のように、前向きな姿勢を崩さずに戦えるかどうか。

本当に笛が、音楽が好きな彼女の、一日も早い快復を祈るばかりです。

最近、池田晶子さんに関わる本をいくつか読んでいます。

池田さんは、私たちのモノを考える力、すなわち言葉を発したり受け止めたりする力は、私たち一人ひとりが、暮らしの中で身一つ心一つで受け持っている小さな領分を超えた場所から到来すると考えています。

これは彼女の「個人的な意見」ではありません。

彼女が研いだ表現に、より忠実に言いかえるなら、言葉それ自身「が」、池田さんという人「において」、自分自身の本性をそのようなものとして反省し把握したのです。

哲学する彼女は、一台の小さなラヂオになって、不可視の精神の流れをキャッチすべく極限まで神経を張りつめさせて、どこまでも繊細に、心のチューナーを調整し続けました。

そうして、彼方からやってくる言葉たちを書きつけていったのです。

言葉の習得と運用について反省すればするほど、一体どこまでが自力で成り立っているのかわからなくなってきます。

むしろ池田さんが言うように、「私が」言葉を操っているのではなく、「言葉が」私という場所を活用して作動しているのではないか?

そんな実感が、じわじわと湧いてきます。

楽器の演奏についても、これと同じような事情がありはしないだろうか?

局所性ジストニアで笛が吹けなくなっている彼女のことを考えながら、そんなことを思ったのです。

身体的な要因ももちろんあるのでしょう。

自我や無意識の成り立ちに関わるような、いわゆる心理学的な要因も。

でも、それだけでは、ものごとの半分しか見ていないことになりはしないか?

心身両面を含めた彼女の側ではなく、その外に要因「X(エックス)」がありはしないか?

「彼女が」音楽をしているという視点からは決して見えてこない何か。

「音楽が」彼女という場所に流れ込み、作動することを妨げているが何かが?

すみません、これは答えのある話ではありません。

しかし、ものごとを良い方向に変えていく何かを、論理的根拠が極めて薄弱なこの直観が含んでいるような気がしてなりません。

備忘メモということでここに記しておきます。

ではでは、また。

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「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
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