否定の刃

本の茶屋

久しぶりに自転車で外出、桜の葉に黄色がちらほら混じり始めていましたよ、北区上十条しかのいえです。

9/11(土)、しかのいえ本の茶屋は13:00から16:00の店開き。

どうぞお越しを~っ。

しかのいえ本の茶屋のご案内・アクセス

荒井裕樹さん著、『まとまらない言葉を生きる』を読み進めています。

気になった記述を、備忘メモ代わりに記しておきます。

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強権的で抑圧的な社会というのは、いくつかの段階がある。

まずは、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことをためらわなくなる。

次に、そうした人たちを迫害して、排除して、黙らせる。

黙らせたところで、今度は逆に語らせる。

「こうしたことを言えば、仲間として認めてやらなくもないんだけど」という具合に、「強制」することなく、あくまでも「自発的」に語らせる。

こうして「強制的に語らせた人」の責任は問われることなく、「自発的に語ってしまった人」だけが傷ついていく。

(『まとまらない言葉を生きる』P106)

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上の文章は、第二次大戦中、戦争に「行けなかった」ハンセン病患者が、「鉄砲をください!」と叫ぶように発出した詩に寄り添いながら書かれたもの。

学校、職場、地域社会、舞台はどこでもいいけれど、こういう「圧」を一度でも受けたことがある人にとっては、生々しい恐怖と共に「なるほど……」と腑に落ちる認識ではないでしょうか。

何かの加減で自分自身にダメ出しをしているような時、ちょっと立ち止まって考えてみた方がいいかもしれない。

「その否定は前向きな検証や反省?それとも、どこかの誰かからの理不尽な価値観の押し付けや、暴力的なマウンティングの片棒担ぎ?」

ただただ人間を破壊し、腐らせるだけの、否定の刃というものは存在します。

そんなものを人様に向けることは論外中の論外ですが、自分にだって向けちゃいけない。

そう思います。

ではでは。

「暮らし」から「つながり」と「仕事」を作る実験室
暮らすLaboratory しかのいえ
公式サイト https://shikanoie.com

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